もう一度「世界、っていう言葉がある。」が鳴っていた『天気の子』

小説 天気の子 (角川文庫)
新海 誠
KADOKAWA (2019-07-18)
売り上げランキング: 1

 

「天気の子」を見ました。

公開初日の夜、仕事あがりに映画館に駆け込んで、21:45開始の回。最もキャパのある1番スクリーンが満席だった。客層のばらばらだったけれど上映中は息を潜めてみんなが見守っているかのように、静かでどこか厳かな空気が漂っていた。素敵だなと思った。

2回目は小説版を読み終えてから8月14日のレイトショー。
なんとなく自分の中で気持ちを落ち着けてから、改めて確認するような感覚で。

 

思ったことを書き連ねていきたい。

前提としては、この映画を俺はメチャクチャ好きだってことなんですけど
こんなに「好き」と言うためにいつもと違った勇気のいる映画ってすごいな。
測られてる気がしませんか?適性を。
でもそんな思いを抱えながらも「俺は、好き!」ってみんなが言っている、気がする。

それにしても、全然考えがまとまらなくて記事が全然書き上がらなかった。

見終えたあといろんな人の感想を読み漁りまくってしまい、もう自分の感想なのかだれかの感想をパクったのかもうわからない状態になりつつあるけれども。まぁでもこれ以上だれかの文章を読むとそれだけで満足してしまいそうでもったいないなと思ったので適度に切り上げて書き出します。

これは個人的な備忘録として、思いついた時に書き足したりあるいは書き換えたり、
好きなように使います。そしてまとまりもありません。

 


東京の風景

そもそも新海誠映画を取り上げて「背景がすごいですね」って当たり前なんですけど、その当たり前を生み出すのにどれだけの手間がかけられてるかって話ですよね。

なにかとこのあとも「君の名は。」と比較してしまうと思うんですけど、今作で描かれる東京って、薄汚いなとまず思う(言い方がひどい)。錆びたフェンス。半端に消えた電飾。転がるゴミ。下品な街並み。少年がうずくまっても気にもとめない冷徹な人々。管理されてない、奔放でありのままの風景。それら都会の暗部が、雨でにじんだ美しい光の中で、いやな存在感を放ち続ける。

そしてわざとらしいくらいにタイアップ先の企業の商品が登場する。あの謎の存在感を放つ『バーニラバニラ高収入!』のトラックと歌が出てきた時には思わず軽く吹き出してしまった。それはスポンサーのための商業的な側面もあると思う。けれど、この時代のそのままの空気を閉じ込めたような効果もあって、それがこの作品においてはめちゃくちゃ重要なことだと感じるのだ。狙い通りなのだろう。

「君の名は。」に描かれる東京はキラキラと華やかだった。未来的で清潔な街並み、たのしい学校生活、放課後にはオシャレなカフェにだっていけちゃう。飛騨の街との比較のためでもあったと思うけれど、少女が夢中になって憧れるような、絶対の天国のような、そういう見せ方になっていたと思う。

天気の子は、2019年の東京がどんな姿をしていたのか。まるで記録するかのように、美しい部分も醜悪な部分も描く。街も人もけっして美しいばかりの世界なんかじゃない。

とくに今回は主人公サイドが現代日本で貧困層としてほそぼそと生活を送るという設定上、暗部にあえてスポットライトを当てている。東京アンダーグラウンド、夜の街は冷たいね・・・

2019年のいま、ぼくらの生活を取り巻くもの。音や、映像や、食品、抽象的にしかならないがこの空気感のようなもの。いまのぼくらを形作るものが、間違いなくこの作品にはパッケージされている。清潔で美しい街を描くことのほうが、素人意見だが、きっと楽だろう。視界の邪魔をしない。余計なものがない。けれどあえてこんなにリアルで薄汚れた世界を描くのは、その必要があったからで、そして必然性がこのストーリーには確かにあったと思う。パンフレットの監督インタビューでも「オリンピックで東京が様変わりする前に、東京が変わってしまう話を描きたい」という一節があった。

「世界なんてさ―――どうせもともと狂ってんだから」

後述するが、この作品の核となるセリフだ。
狂った世界を突きつけるために、この作品は執拗なほどにリアルないまの世界を追い求めているのだろう。

なお、ぼくらを取り巻くとかなんだかんだと言ったが地方民なので東京の男になったつもりでこの文章を綴った。バニラカーとか1回しか見たことがない。
でもやっぱりこんな東京を見たあとでも、新海誠が描く『東京』はやっぱスゲェよ。ここで人の生活を営まれているという実感がこんなにアニメの風景で感じられるかね。


ぼくのジュブナイル、ぼくの”新海誠”

ジュブナイルという表現があってるかどうか。教育や教訓を重視する優等生なものではない青春物語、的な捉え方で自分は使っているけれど。

ラストシーンについてはあとで書くとして。

「君の名は。」と同じく非常に強いエンターティメント作品であるが、もちろんキャラクターは違うしストーリーも違うし、根本的に作品が向いている方向が、まるで違う。そしてこれこそが「新海誠」の真髄なんじゃないかと、12年くらい新海誠に取り憑かれている自分は思うのだ。(というか「君の名は。」がド直球なだけで新海の基本は、”こっち”だろ。みんな知ってるね。)

当たり前だが「君の名は。」の商業的な大成功となり、もう100年後の日本のアニメ史にも名前がのっちゃってるんじゃないかっていう大記録を成し遂げた金字塔。
配給としても期待大、ハチャメテャなプレッシャーの中でこの「天気の子」は世に産み落とされたわけだが、こちらとしては

「えっまじで?こんな純度の新海汁をブチ撒けちゃってていいんすか?」

としか思えないくらい遠慮ない深海節を堪能できる映画となっていたことがまずびっくり。
すごすぎるでしょ。大ヒットの次回作なんて、ハードルも上がってるしいろんな制約も増えて、正直、どんな作品が出来上がるのかと心配だった。なんか制作もギリギリだったようだし。ところがなんの心配もいらなかった。

最高の映画だ。

最高の、新海映画だ。

様々な点で、新境地と原点回帰が見られる。
もちろん1本のアニメ作品として抜群の出来なんだけど、過去作を踏まえてみると本当に多層的な楽しみ方ができる。
とくにクライマックスで見せつけられる光景、言葉、決着―――
あまりにも、あまりにも眩しくなってしまう。これは呪縛を打ち破った「君の名は。」のラストシーンとはまた違った感動。「秒速」でもいいし、セルフオマージュでもあると思われるいくつかのシーンなんかは「雲のむこう、約束の場所」を想起させる。

その上であの映画ではたどり着けなかった結末を、当時の新海誠では描けなかったであろう強度で突きつけられてて、「君の名は。」とは違った形の敵討ちみたいな感じだ。東京の街、並走する電車でガラスごしに目が合った瀧と三葉のカタルシス。それと似た感覚があるのだ。俺の中では、過去の様々な作品がこの「天気の子」が巡り合い、それぞれがまったく違う光を放ち始めているのだ。

そもそも「雲のむこう」はテーマとしてもかなり「天気の子」と関連性があるように思う。

「サユリを救うのか、世界を救うのかだ」

ヒロインと世界を天秤にかける、まさにセカイが俺たちの心臓を貫く作品だ。セカイ系といえば「ほしのこえ」だろうがいま概念と取り出すとより明確にセカイ系のイメージが色濃いのは「雲のむこう」なんじゃないかと思う。

そう、巡り合ってしまったんだ。あの頃の新海誠に。
それが2019年の夏、全国何百という映画館で大スクリーンでなんて、こんな贅沢なことがあるだろうか。この現実にしびれてしまうんだよな。あまりにも原液のままの新海誠なのだ。けれど全てがアップデートされている。完璧なエンターティメント作品として差し出された「天気の子」。なのにひとくちかじりついたら中から実家の豚汁の味が滲み出てきたみたいな感じだ。

「え、なにこの映画、気持ち悪くない?」
「なんでこんなエンディングになっちゃうの?」
「こんなのってアリ?」ってなる人も当然いると思うんですよ。
というか自分自身が、こんな新海汁100%みたいな映画がこの夏最大の話題作!みたいなノリで全国ロードショーされてることにめまいすら覚える。だ、大丈夫なのか?

「『君の名は。』に怒った人をもっと怒らせたい」――新海誠が新作に込めた覚悟

いくつかのインタビューを読んだ。それから小説版のあとがきも読んだ。
「君の名は。」のビッグヒットを経て、称賛も受けたがそれ以上に批判されることの痛みが印象深く監督のなかに残ったようだ。
そしてより賛否両論を巻き起こす、嵐の中へ飛び込もうと決断したというドM監督。願いは叶い、まさかと思うほどに新海誠すぎる最新作と相成った。けれどきちんと大多数に差し出せるだけのラッピングが施されている。

本作はボーイミーツガールの王道。この輝きの魅力がなによりもデカい。
この王道を、基礎から徹底的に叩き上げ練り上げ完成させ、そしてブン投げてくるんだからそりゃオタクは参ってしまう。そしてキラキラ青春ラブストーリーを期待して見に来る一般層もおそらくキャッチできている。

たしかにオタクがゴチャゴチャ語りたくなる多層構造とカタルシスが間違いなくある。
けれどそれと同じように、本当に、純粋にエンタメなのだ。
突き抜けて出来が良い、見ていて楽しい。それでいて見終えたあと、ちょっとあと引くミステリアスな魅力。エンドロールまで見守って、劇場にライトが付いて席を立つ。スマホの電源を入れながら段差を降りていき、内容を反芻してみる。いや待てよ?・・・この結末、なんかおかしくないか? 俺はそういう体験を「君の名は。」しかまだ新海作品を知らない人にしてほしいなと思う、めんどくさい人間だ。

こんな俺好みの作品がこの世に存在してていいのか?
これ以上のフィット感、この先の人生で出会えるのか?

そんな心配まで出てきてしまうくらい、すごい。「君の名は。」の場外ホームランみたいな圧倒的多幸感のあるハッピーエンドも最高だ。けれどこの、ちょっとはっきりとした感想がすぐに出せない靄がかった感じ・・・その上で何層にも折り重なったドデカ感情。いまこうして文章を叩きながら思い出しても、思い返すほどにむせ返るような感傷と決断にまみれていてゾッとしてしまう。選び、生きていく。2010年台に蘇ったセカイ系の新しいかたち。こんなのさぁ、好きに決まってるんだよなぁ。

おかげでネットでは2000年台初頭に発売されたPCゲーム版「天気の子」の集団幻覚に陥っている始末。

ギリッギリわかるようでわからないラインの年代なんだけど、「ありそう」感がすごい。そしてこんなにオタクたちがおおはしゃぎしている映画なんだけど、本当に「君の名は。」から新海誠を見だした若い人はこの映画を好きになってくれてる?好きになってくれてるといいなぁ。

とりとめのない項目となってしまったが、つまりは、「君の名は。」の次回作としてこの2019年にこの作品が公開されたことの意味や価値、そういったものが、27歳になった今の自分にとってすごく大きな意味を持つ、ような気がする、って話です。

クライマックスの展開については後述。

 


対話するキャラクターたち

先程も貼ったインタビューをもういちど。

「『君の名は。』に怒った人をもっと怒らせたい」――新海誠が新作に込めた覚悟

「そんな大人たちの憂鬱を、軽々と飛び越えていってしまう、若い子たちの物語を描きたいなと強く思いました」という部分。それ〜!!

本当に、躍動する若い力を感じさせる映画だった。

そして個人的には、「対話してるなぁ」と思った。
対話する。
過去もっとも対話した新海映画だったのではないだろうか。当たり前のコミュニケーションなのにね。結果どうなるかはさておき・・・。

新海印の効果的なモノローグは今作も健在なんだけれど
きちんと会話して、確認して(ときどき先走るが)、ストーリーが進んでいく。キャラクター同士のつながりが精神論に依るところではなくきちんと現実の結びつきとして描かれる。地味にこれが革新的。

なによりクライマックスで二人が空の上で叫ぶセリフ。
ようやくたどり着いたと、思わず泣けてしまった。
この言葉を言えなくて、確かめることができなくて、いまなお春の亡霊が参宮橋駅周辺の踏切あたりにさまよっているんだぞ。

ひとりで悩む、ひとりで想う。孤独に苛まれながらも、どこか孤独に癒やされ救われていくような時の流れは、これまでの作品でも印象深い部分だ。近年の作品へゆくにつれそれは少しずつ変わっていき「君の名は。」ではより開放的な世界となった。ただ本作は「君の名は。」と比べても、従来通りの新海ワールドなのに人物相関図の力強さは最先端なため、よりこの要素が際立って感じられた。

新海映画に特徴的なモノローグは、ときに女々しくときにナルシシズムも含み、作家性を強く反映すると同時に反発も抱かれてきた要素だと思う。本作は過去作と比べて比較的少なく、それゆえにその独白に混められた願いの深さに、じっとりと胸を刺されるような心地がある。

「これ以上僕たちになにも足さず、僕たちからなにも引かないでください――――」

あのラブホテルでのシーンの、あまりにも素朴で純粋な祈りの言葉。
新海誠は、映像で詩を生み出してきた。観るものの胸にいくつもの詩を生み出す起爆装置のようなエッセンスが持ち味だと思っている。
そういう意味ではキャラクター関係は作品を重ねるごとに強固になっているような感覚があるが、根底にある作家として魅力はなにも変わってはいない。
ただ先にも書いたように本作はメインキャラクター同士がきちんと対話をする。
言葉を紡ぐことで他者と向き合う覚悟を己に課しているような、きちんと想いを相手に届けなくちゃ始まらないんだと言い聞かせるような作品のように思う。コミュニケーションの強度がこれまでとは性質が異なっているような。

 

ざっくりとキャラクターについて書く。まず主人公ズ。
主人公の帆高は島を飛び出してホームレス。
ヒロインの陽菜は親を無くし、追い詰められて未成年ながら水商売に手を染めようをする。

いや、生活困窮具合がすごいぞ!

でもこれがきっと2019年日本のリアル。夏なのに冷たい雨の降る東京の夜。その攻撃性に震え、身を寄せる少年と少女。疑似家族モノの要素もある本作にぴてこの苦境をしっかり魅せておくのも重要だったのだろう。
それに、クライマックスで帆高と陽菜がとった決断。「世界に愛されない僕たち/私たち」という確かな実感が、あの選択肢を取らせた一因となっていることも否定できない。

いや。苦境に立たされているのは主人公の彼らだけではない。
コメディパートのほんわかとしか空気で忘れがちだけど、他のキャラクターもシビアなリアルを抱えている。

安定しない職につきながら亡き妻の義母との関係にも頭を悩ませる中年、須賀圭介。
絶賛モラトリアム、就職活動がさっぱりうまくいかないもだもだ女子大生、夏美。
帆高の東京生活を支え、そして走り出した彼を最大限バックアップするキーキャラクターである二人も、それぞれ悩みを抱えている。
(この二人の詳しい描写はむしろ小説版で補完されているので読んでほしい。とくに終盤で、自らのモラトリアムがいまここで終了したことを確信する夏美さんは名シーンすぎる)

 

まだまだ読みとけていない部分も多いが、やはり須賀圭介というキャラクターが背負うドラマ性だったりセンチメンタルだったり下らなさのようなものが、本作では1番人間くさくてたまらない。本作では1番好きかもしれない。須賀圭介、最高だよ。

大人として帆高をときに支えときに立ちふさがる。主人公にとってある種父親のような存在として描かれる。明確な「大人」だ。ただ垣間見える描写をたどるに、一筋縄ではいかない大人の苦しみがにじみ出ているのを感じる。

多くの人が指摘している通り、妻を亡くした彼が映画冒頭でぽつりとこぼした「誰かの命の恩人になったのは初めて」というセリフは、意味を知って聞くと泣けてくる。いまだ言えない傷がささいなことで刺激されひとりの男を苛めている。

喪失を背負った情けない大人の男といえば「星を追う子ども」で登場したモリサキを思い出す。妻を生き返らせるために策を講じた彼を待っていた運命は、主人公アスナの旅でその痛みが浮かび上がった。いつまでも過去にすがることしかできなかった、寂しがりの哀しい男の話だ。

単純に比較することもナンセンスだとは思うが、須賀はモリサキとはまた違った「喪失に抗う大人像」を見せてくれたキャラクターだった。小栗旬の演技もとても好み。やさしい部分とめんどくさがってる部分が両立されている。かっこよくも情けなくもあって、大都会で帆高を拾ってくれたのが彼でよかったとも思うし、帆高を通じて彼の人生も少しずつ好転していった実感がたしかにあったりもする。やっぱ、少年のがむしゃらな姿に心打たれる大人って、いい大人なんだよな。大人になりきれてない大人は、みんなそういうことになっちゃうんだ。

保身に走ってしまうことや、ひとりの犠牲で社会が正常に回ることを、仕方のない正しいことだとして飲み下す。けれど終盤で帆高が大人たち全員に向けて、「邪魔をしないでくれよ」「俺はただもう一度、あのひとに会いたいんだ」と素直な言葉を叫んで、そして警官をブン殴って帆高を屋上へ向かわせる流れ!王道だけど熱いなぁ!

この映画「大人はわかってくれない」という少年期のワガママな鬱憤が原動力になっているわけじゃないですか。結局須賀さんだって、3年後のエピローグで帆高に向けて大人としてのセリフを吐いてしまう。そりゃそうだよだって大人だもの。でも。社会的悪人になってでもあの瞬間に帆高を屋上へ向かわせたことで、須賀さん自身の救いになってくれたらいい。きっとそうであってほしい。大切な人を守れなかった自分を重ねた情けない投影であっても。

帆高を「少年」と呼んでいましたが、エピローグでは「青年」と呼びかけるかたちに変化していたのが、彼なりに帆高の成長を認めているのと大人の入口に立った少年へのエールのようでもあり、大好きな演出。

 

夏美さんは・・・・・・ゲーム版だったらまっさきに攻略に向かうな・・・。
個人的には本田翼の演技もそこまで気になるものではなかったし、キャラクターとしてもメチャクチャ惹かれるものがあった。お姉さんにからかい口調で「いま胸みたでしょ」ってなじられたくない16歳キッズおるか?全人類の夢。

ともあれモラトリアムに苦しむ彼女の苦しみはアニメではどこかコメディ的に消化されていた面もあり、小説版での掘り下げがもっとも効果的な人物は夏美さんだと思っている。
先にも書いたけども小説版242頁(第9章ラスト)の独白は完璧と言っていい。これが読むことで本作における夏美さんの役割がより際立つ。アニメ本編ですこしでもモノローグ的に入れてもらえなかっただろうか・・・。

「私はここまでだよ、少年」

「私の少女時代は、私のアドレセンスは、私のモラトリアムはここまでだ」

「少年、私はいっちょ先に大人になっておくからね」

この下りはメチャクチャ刺さる。須賀さんは大人の立場から少年たちの選択を見つめていくポジションであることに対して夏美さんはこの夏をもって大人になったというキャラクター。気持ち悪い発想をすると主人公は別ヒロイン(陽菜)を追いかけながらもこの夏美さんという超絶美人の人生において大きな痕跡を残すことに成功しているので実質攻略完了みたいなもん。

まぁともかく、キャラクターについては現状補完できる資料が小説版くらいしかない(あとで資料集とか色々出るとは思うが)ので間違いなく読んだほうがいい。

 


 

もう一度「世界」と向き合うラストシーン

 

 

「世界、っていう言葉がある。」
そんなモノローグで新海誠は監督人生をスタートさせている。初監督作品「ほしのこえ」の冒頭の一節だが、やはり新海誠と「世界」は切ってもきれない関係なんだろう。

そもそもここで言う世界とはなんだろうか。所詮10代の少年少女が感知しうる世界の範囲などたかが知れている。その手で触れられるものも限られているし、その力で変えられるものなんて一体なにがあるというのだろう。
それでも彼らが口にする世界という言葉を安易だとか愚かだとかで片付けたくはない。
本作「天気の子」を見た後だと「世界」という言葉が内包するあらゆる要素が、いかに少年と少女を結びつけ、そしてこの先彼らを苛めるか、非常に過酷なラストシーンだったと個人的には認識している。

感じとしては、前向きながら後ろ歩きしちゃったみたいな。違うか。

やはり議論の焦点となってくるのはその終盤での彼らの選択だろう。
ボーイミーツガールとしては正解。でも、じゃあ他の視点ではどうだろう?

 

映画を最初に見た時、ラストシーンで空が晴れたと思った。2人が再会したときに雨がやんだように思った。2度めに見た時確認したけれどそれは勘違いだった。雨は降り続けていたし空は晴れてなんかいなかった。当たり前だろう。でも、2人は再会したとき、喜びよりもまず張り詰めたような表情を見せるのに気づいた。その後笑顔をみせてくれるけれど、あの膨大な感情を前に途方に暮れたような、あるいは真摯に渇望するような、切なげな表情が頭から離れなかった。

身勝手に願いを叶え、世界の形を変えてしまった。
きっと彼らはその責任から逃げようともしない。

ラストの再会の直前、ヒロインの陽菜は空に祈っていた。彼女はかつて空に祈ることで晴れにできる、100%の晴れ女だった。けれど、あの空からふたりで廃ビルの屋上へ戻ってきた時に、巫女としての力は失われていると思う。首のチョーカーが壊れたこともそれを表しているのだけど。

(チョーカーについての考察はたくさんあるけどここが好き。
陽菜さんのチョーカーが愛おしくてもう限界でござる。 ——母親との別れの物語として見る『天気の子』 )

 

じゃあなんで俺が最初にこの映画を見た時にラストシーンで「晴れた」と錯覚したのか。観察力が足りてなかった。そうです。でも2回めで見た時、勘違いなだけじゃないなと思った。あきらかに画面が明るくなって、ふたりの表情は煌めいて、フィナーレの『大丈夫』が流れ出して、・・・・・・雨が降っていても、世界はこんなに美しい。その雨が2人の罪の象徴だとしても。雑な捉え方をすると、この作品の言いたい事のひとつにそういうメッセージもあると思う。つまりはボーイ・ミーツ・ガールの魔法。少年と少女のひたむきな思いが、ほんのすこし、世界を変える。巫女の力なんかじゃない。ファンタジーが描ける最も強いファンタジー。なんでもないぼくらが、ありのまま、願ったままで世界を変える。感じ方ひとつで視界は様変わりする。そうだろう。フィクションとはそうであればいい。荒唐無稽だろう。けれと、元来人々がもつ、奇跡を起こすチカラを信じる。そういうエンディングのようにも感じられるのだ。

別に特別な能力なんてない。自分たちの力で世界を変えた。
東京を海に沈めた。
そうじゃない。

特別な力なんかなくたってあそこで2人は再会できたことも自分自身の力で叶えた現実だ。自分たちの意思で歩いていく。背負って生きていく。この強さを、世界は祝福する。特別な力なんてなくたって世界はきらめく。それができるだけの生命力や本来、少年少女は持っているのだ。というメッセージのように受け止めた。

と、とてつもなく曲解していることはわかっていますが。

世界なんてもともと狂ってる。けれどそんな真実を、そんな慰めを、最後の最後ヒロインの再会した瞬間に打ち消した。「違う!たしかに俺たちが世界をかえたんだ!」と。まるでそうご都合主義かもしれないし、見ている側が都合よく解釈しているだけに過ぎないのかもしれない。

けれどいくつもの可能性や解釈が折り重なって作品は形づけられる。主人公が願った世界のように、途方もなく、俺はこの作品のそんなメッセージを愚かにも信じてしまう。無数の罪を背負い、わがままを貫き通して、それでも彼らは世界から祝福されたのだ。
いやむしろ世界から祝福なんかされなくたって生きていける。
自分の力で、自分の決断で、世界を変えて生きいける。「大丈夫」なんだと、そう信じてしまう。物語で描かれる少年少女に向けた、最大級のエールと最大級の祈りのようなものを感じる。

セカイ系のあたらしい着地点だと思う。セカイ系が示せるハッピーエンド、こんなのあったんだ?ってなる。発見。ハッピーエンドじゃないかもしれない。でも、セカイとぼくらの関係性をこんなふうに纏めてしまったのはやはりすごいよ。この万福の肯定感。こんなに「大丈夫」って言ってくれる新海作品かつてないよ…………。

でもネガな意見も芽吹いてくるのだ。

心のどこかで「本当に大丈夫?」と問いかける声も自分の中にある。あえて背負い直した罪。世界を変え、人々の生活を変貌させた。沈んだ街には失われた日々や家、思い出、さまざまあるだろう。だれも、主人公たちのせいだなんて知らない。けれどこの先生きていく中でいくらでも、自分たちの選択のせいで失われてしまったものに直面していくはずだ。そのたびに心は摩耗するに違いない。

本当に、『大丈夫』なのか?

本当にこの先、この世界の秘密を抱えたまま、自分たちが幸せになれることを許容し、希望し、祝福することができるのか?

貴樹くん、あなたはきっと大丈夫。

どんなことがあっても、貴樹くんは絶対に立派で優しい大人になると思います。

貴樹くんがこの先どんなに遠くに行ってしまっても、 私はずっと絶対に好きです。

どうか どうか、それを覚えていてください。

フラッシュバック・5センチメートル。

 

 

新海作品で「大丈夫」というワードがきたら秒速を思い出す人も多いだろうが俺もそのひとり。
またしても「大丈夫」という言葉が立ちふさがってきたかと。

けれどどうやら今回ばかりは違うようなのだ。
劇場で鳴り響くフィナーレ曲「大丈夫」の歌詞は、まるでオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」のように思いを捧げ合い、そして新海誠お得意かのように「世界」という言葉で幕が上がる。

この曲に宿る言葉の力はすごいと思う。ラストシーンにはじける感情を、アニメと音楽が相互補完しているかのようだ。言葉が絵を、絵が音楽を、音楽が言葉を、それぞれつなぎ合わせてこの物語の未来まで包み込んでいる。むせ返るような感傷と決断にまみれていてゾッとするほどのストーリーが、この曲をもって見事にまとめ上げられている。

「大丈夫」がもはや凶器かってくらい、その後の人生全部暖めてくれる祝福あるいは呪いあるいは宿命みたいに響く。

そこに関して言えば「秒速」と共通して言えることなのかもしれない。

この「大丈夫」の歌詞を読んだ時、「ああ、大丈夫だな」って冗談抜きに思えてしまったもんな。

帆高が陽菜と再会したときに「違う!たしかに俺たちが世界をかえたんだ!」と、手放しかけた世界の秘密を、その責任を、もう一度掴んでくれるのがなによりも嬉しい。罪を罪として背負い直して、だからあんなに張り詰めた表情で、坂の上で空に祈る陽菜を見たのだ。「大丈夫」になる覚悟を、決めてくれた。そうしなきゃ陽菜ともういちど向き合うことなんて出来ない。罰のない罪を背負うことは、ただのエゴに過ぎないかもしれない。けれど、罪悪を抱えながらももう一度、「世界」と戦う姿勢を見せてくれる。そうして終わるこの物語が本当に愛おしくて仕方ないのです。世界を変えたことを再認識したことは、見ないふりをする大人や社会への抵抗の姿勢が最後まで感じられる。慰めも欺瞞もはねのけて、自分の価値観で自分のしんじたものを守るために、世界を向き合い戦っていくエンディング。そして世界に償っていくエンディング。非道徳的なんだけど切実で、あまりにも10代の精神性に寄り添ってくれる物語すぎて、これは確実に、10代で出会っていたら人生変えられていたであろう作品だと、恐怖すら湧き上がってくるんですよね。(実際15の春に「秒速」を見て変えられてしまった人生ですが)

選び、生きていく。2010年台に蘇ったセカイ系の新しいかたち。

 

 

 

 

 

各種インタビューを読んでも、本作のこのラストシーンは意図的に仕組まれた、新海誠監督なりの美学を素直に反映していることが確認できる。小説版のあとがきを読んでも、「君の名は。」の大成功とともに浴びせられた心無い批判の声に向けてのカウンターとして制作されたような趣を感じられる。

「ずっと窮屈だなと思っている少年が、誰も言ってくれない、政治家も報道も教科書も先生も言ってくれない言葉を叫ぶんです」 -独占インタビュー!『天気の子』新海誠監督、「君の名は。」批判した人をもっと怒らせたい

実際「天気の子は」万事ハッピーエンドとは到底言えないラストを迎える。

けれど世界はこわれたりしないし、少々かたちを変えながらも対応して日々は流れていく。
丈夫だ。大丈夫だ。世界も、大丈夫なんだよ。
主人公がした決断は多くの人の思いを裏切ってしまうけれど、でも間違いなく現代社会で人々は叫びたがっている本質が、ここにはあるのだと思う。セカイ系という捉え方もされるけどこのメッセージは確実に現代社会のとくにSNS文化へのオブジェクション。ボーイミーツガールとしての「正解」と、監督自身が社会に申し立てたいメッセージをこんなふうに両立させることがすごい。

純粋なエンターティメントとしても楽しめるのに、
作品として内包する感情量やテクニック、作品としての社会的意義、とにかく「厚みがスゴイ」。

こんな挑戦的で、なのに原点回帰な超傑作を、大成功作「君の名は。」のすぐ次の作品として送り込んでくる姿勢が恐ろしすぎるんだよなぁ。

正直いって君の名はの大ヒットでなにかが変わってしまうんじゃないかと危惧していましたが、完全に杞憂だった。もうね。10代から20代にかけて10年も好きで居続けるクリエイターなら、もう一生追いかけられるなって思ってしまった。一生よろしく頼むよ新海。

 


 

以下、思いついた時に触るスペース

気になる部分を追記していきます。

・『天気の子』興行収入100億円突破! 新海誠インタビュー「世界を変える」

これはすごく内容が充実したインタビュー。「天気」が近年より凶暴に私たちの生活に降りかかるようになった実感から着想を得た話や、英題「Weathering With You」が宿す意味など、必読の内容。

 

・小説版第281頁の「結婚写真」は小説版だけのボーナストラック的なヤツで、嬉しいですね。

 

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「夜と海」2巻が発売されました。ので、1巻とまとめてご紹介。

・・・が、いまちょっとすごいのでこれも先に申し上げておきたい。

 

 

 

1巻、実質無料!!!(7月18日時点)

 

え・・・? 無料・・・?

今!今なんだよ!

お手元に「夜と海」1巻を実質無料で招き入れることができるチャンス。
マジでおすすめ。(なお俺は紙で買っている)

 

 

 

いうわけで内容ですが、ざっくりいうとモダモダしている百合ものです。がっつり恋愛描写gあるわけではないですが、じんわりと惹かれていくのを見守る作品。

ですが、それだけではこの作品は語れない。語り尽くせない。

1巻は発売から少し経ってからふと手にしたのですが・・・・・・もうね、素晴らしいです。絵、うまっ・・・。漫画、うまっ・・・。それしか言葉が出てこなくなるくらい引きずり込まれる。特別なことなんて描いていない。学校のなかで起こることが人生の8割以上、そんな狭い箱庭のなか。少女たちが悩んだり、ちょっとうれしくなったりするお話。

 

なぜこれだけ惹き込まれてしまうのか。
時折、ひんやりとした感触があるのだ。いやむしろどんな時にも、この作品を読んでる間、その気配は漂っている。
彼女たちが漂う 洪大な宇宙のような、はたまた光の届かぬ深海のような、思春期の窒息感や退屈やままならない感情。
それらをこの作品はより視覚的に描いていく。

 

シンボリックなのはつねに画面に映り込む海洋生物たち。色とりどりの魚たち、古代魚、クラゲやエビ、ちょっとグロテスクな深海魚・・・ 現実風景の上に、もうひとつの世界が出来上がっている。
物語はシンプル。けれどそこに浮かび上がってくる人間模様がこれほど奥深いのは、そう感じさせてくれるのは、少女たちの心象風景をうつしだす『もうひとつの世界』が実に雄弁なためなのだ。

 

夜と月15

なにより、ビジュアルとしてとても、とても美しい。
うっとり見惚れるほどに作画がいい。

1コマ1コマほんとうに美しくて、そのうえいまノタマッているように様々な解釈をさせてくれる引き出しのおおい無音の空間が存在している。間のとり方、表情だけで魅せてくる演出などと合わせ技がめちゃくちゃ鮮やかなんだ・・・。

 

そしてそこからにじみ出る感情の残り香のような”断片”にこれ以上なくドキドキさせられてしまうのだ。
日常とファンタジーが同居して描かれる。このいい意味での違和感がこの作品の個性というか強みにもなっていて、何層にも折り重なった感情のひだとしてひらひら、ふわふわ揺れている。
主人公のひとり、月子。周囲にあまりなじまない彼女は、口数も少ない。
彼女を読む解くためにはこの『もうひとつの世界』をヒントにしていく必要がある。
海洋生物たちは様々な表情を見せてくれる。なんなら現実の人の顔が、魚に見える場面もある。
「なぜこの魚が?」と、読みながら自然と考えさせる作りになっている。印象的に、かつメッセージ性をたっぷり含んで顔をのぞかせているのだ。
うつくしい背びれをヒラヒラさせたり、ゆらゆら、ゆらゆら、水中を漂う。それは彼女の気持ちそのものだろう。
あるいは、そうありたいと彼女が願う姿だろうか。

 

海洋生物だけではない。
泡立つみなも、うずまく水流、体ごと呑まれそうな大波。
海模様そのものも彼女の気持ちを映す鏡だ。物言わぬ彼女の動揺をなによりも表現している。

 

夜と海11

 

この場面なんかは、荒れる海模様が、相手の表情やふきだしを覆い隠してもいる。
耳をふさぎたい、とにかくぶつけたいという、彼女の焦りや怒りのような感情がヒシヒシと伝わってくる。気持ちと「水中」がこんなにもリンクしてくる。
例として挙げたけれどとにかくこういった細かな演出や技法が随所に散りばめられていて、ぱらぱらと読み返すたびにみずみずしく発見がある。漫画、うまっ・・・。

 

 

 

などなどと考えるだけで、いくらでも彼女たちの心模様に可能性が感じられるのだ。
無限に読んでいられる奥深さがここにある。解釈バトルが俺の中で巻き起こる。なんならトーナメント戦だ。決勝戦は「寂しさ」と「切なさ」だ。「心強さ」とかは初戦敗退。
そして考えていくと、女の子同士が惹かれ合う感情だけじゃなくて、もっと根源的な感情やキャラクターの背景までもは描きこまれているように感じられる。

 

なんで月子はこんなにも海に自分を投影するのだろうかと思えば
第4話で幼少のころ、父親と水族館へ遊びに行った思い出が語られている。
きっと、このときに彼女は、感情ぜんぶ、水族館からみえる世界へおいてきてしまったんだろう。
水槽のガラス壁を超えて、本当の自分を、あちら側へ託してしまった。
度重なる引っ越しによって、彼女を蝕んだ幼少からの孤独。
慰めだったのかもしれない。「あんなふうに自由に泳ぎ回りたい」と。羨ましくなったのだろうか。素直に楽しかったのだろうか。
それが水中、もうひとつの彼女の世界への、扉だったのかもしれない。

 

現実の月子は泳げない。
それというのも、泳ごうとしてない彼女自身のメンタルが影響しているように思う。
そして自然に彩のことを目で追うようになったのも、気ままに泳ぐ彼女を見ることが当たり前になったのも、月子の気持ちが水中に取り込まれることに深く深く結びついているはずなのだ。

 

 

そして月子だけではない。水泳大好き少女、彩。
この作品は彼女のもちまえのノーテンキさというか明るさに、だいぶ救われているようにも思う。ほんとうにいい空気をもったキャラクターなのだ。素直だけどバカなんじゃない。ちゃんと思いやれて、ちゃんと悩んでいる女の子。

 

彼女の心象風景は、限られた場面にのみ発動される。
主なものとしては月子を吸血鬼にみたてている時とか、月子が不機嫌なときにはコウモリが空を飛ぶような演出がされる。
彩が彩なりに、月子の気持ちのむきを探ろうとしているのが伺えるのだ。
けれどより印象的なのは、月子を光に見立てているとき。
月子がまとうオーラを、彩は光として認識しているのだろう。彼女の視界から月子をみる場面では、月子は女神のようにピカピカしていたりする。
光、そしてそれは水中に挿し込まれた脚にも宿る。

夜と海13
ほかに部員のいない水泳部。
ひとりでプールを満喫していた頃とは変わり、いまや彩のみる水中世界には、月子の姿が映るようになった。脚だけ、だけど。

けれどそれがそれが不快ではない。それどころか嬉しくなってしまう。自分にないものをたくさん持っていて、きれいで気難しくて、ぜんぜん思い通りになんてならない存在。そんな月子にワクワクしている。

2巻第7話46頁、「水の中は私の世界で、自分ひとりがいればいい」と彩は言っている。
・・・そのはずだったのに、心のどこかでもっと月子がそばにいてくれればいいなと思い始めていたりもして。けれどそれが果たしていいことなのか、直接いって届くことなのだろうかともだもだ頭を悩ませてしまう。これだよなぁ。これですよ。にっこり。

 

自分だけのはずだった世界に、だれかが触れてくれる喜び。
水面から挿し込まれたその2本の脚を眺めるとき、彩の表情がいつになくやわらかに感じられるのだ。

 

 

 

月子にとっての水中と、彩にとっての光。
もうひとつの世界と、もうひとつの世界。それは誰にも共有されない。それぞれが勝手に見ているだけの景色だ。ひとりだけが感じている光だ。勝手に作り出した世界であり、それはきっと現実ではないのだから。

けれど手を取り合う時、彼女たちの世界は混じり合った。
きらめく海。
共有されないはずの2つの心象風景が混じり合う。そこにこめられた意味に震える。感情が深く結びついて、たしかにピカピカと瞬くのを感じる。

 

夜と海12

 

そして囁かれる甘い言葉、ちいさくゆれる心。
それを読者だけが感じられる。ふたりがどんな世界を心に感じ取っているかを、どんな言葉より雄弁にこの『水中』が物語るのだ。混じり合ったふたりの世界がきらきら瞬く、こんな美しい瞬間を確かめられる。

こんなに贅沢な観客席はないなと思う。

「夜と海」、おすすめです。

まだまだ見たい。このひんやりとした水中で、透明になった心で、ふたりがどんな学校生活をこれから送るのか。

 

 

 

 

ところで

 

「夜と海」イメージカクテルのフレーバーテキスト(か?)が最高

有限性の関係!華奢な執着!!これだよ・・・!!!!

 

 

 

 

 

 

 

「Stage Bye Stage」が良すぎる話を追想する

漫画の感想をメインをやっていますが、好きなことを書きたいので今日はアイドルマスターシンデレラガールズの楽曲「Stage Bye Stage」という曲について書きます。

前提としては、申し訳ない、ミリ寄りのP(しかもミリシタから)なので、デレマスについては2公演ほどライブBDを見て、あとは6thのLVとディレイ、6thのナゴドは現地、くらいの経験値しかない。デレステもそうめちゃくちゃやりこんでる訳でもないので色々認識が違っていたら申し訳ない、ということは予め……。

 

それにきっとデレP的にはいまさらな話題なのだろうけど、
個人的にうわーっ!!!!となったので書き出す。

 

 

6thナゴド現地と書いたがミリPなのに初アイマスライブ現地がこれでした。地元開催だったため。
やはりライブの魔力とは凄いもので、それ以降デレマス関連もそれなりに曲を追うようになってきた。

という流れの中で 先日、そのナゴドライブの模様を収録したライブBDのPVが公開されたので視聴した。

 

 

自分が実際に足を運んだライブ映像を見返すというのも感慨深いもので、他のアーティストやバンドでもそうたけど、本当に思い出が結晶化して宝物みたくなる。実際ライブBDという形で所有できるしいくらでも見直せるし。

 

そんなわけでPVを見ながらあれこれ思い出していたわけですが 「Stage Bye Stage」が流れ出した途端に、とにかくもう、感情が溢れた。なんなら泣いていた。

ドキドキする一瞬は 光る夢を作ってくれる
いくつ増えてゆくのかな
そしてここで「またね」「またね」って何回でも言えるから

元から好きな曲だったのだけど、
現地で聞いた時も最高だったけれど、
懐かしむようにして聞いたこととき、あまりにも歌詞が刺さりすぎて慄いた。
いや、なんなら今聞いているときの方が、何倍にも破壊力を感じる。

うわ!!おれこの場所にいたんだ!!手を振ったんだ!!

そんなことが直感的に奇跡のように感じられてボロボロになった。時間差クリティカルヒット。そうして改めて歌詞を見てみると、とんでもないなと感じる。アイドルマスターというコンテンツにおいてこんな多角的な視点で歌われる曲が存在できたのか。(いや、ほかにもあるかもしれんが、俺には衝撃的だった)

もともとニュージェネ3人曲としてリリースされたみたいですが、6thライブではアンコール前の本編ラス曲としてセットリスト入り。歌詞からしてもそういう内容なので納得ではありますけど、実質全体曲扱いなのはわりと大抜擢なのでは?

そして、これがまたライブ終盤で聞くと本当に泣けてしまうんだよな、この歌詞が。
この曲、何がすごいって、いろんな視点が盛り込まれていることだと思います。
全アイドル共通ともとれるし、なんなら全P、全演者、全関係者、コンテンツそのもの、とにかくあまりにも大きな事象にまで言及されている感覚がある。

感情が溢れてしまった夜のTweet

そもそも2次元アイドルコンテンツのライブって、よく考えなくても不思議な構図じゃないですか。声優さんが歌って踊る、だけじゃない。演じる役柄を憑依させて、ステージの上でキャラクターを体現して、プロデューサーは観客になって、けれど同時にプロデューサーとして彼女たちの頑張りを見守っていたりもして、そんな風におなじ偶像を共有する。けれど単純に楽しい音楽や美しいドラマ性を味わって歓喜したりする。普通のライブ・コンサートとはわけが違う、普通に考えて混乱するでしょこんな複雑な構造。フィクションとメタフィクションとリアルがいびつに噛み合って、こんなことになっている。

 

たくさんの声が飛び出す箱
ココロ跳ねちゃう 楽しいでしょ
想いを響かせ伝えてゆこう
ひとつと ひとつが 交わる場所

言うまでもライブという場所そのものを歌うAメロ。
ここで「イマ」を歌う。事実これがライブで歌われるのは終盤、本編も終わろうというタイミングだった。
ウキウキするようなメロディはめちゃくちゃポップで、テンポに合わせてサイリウムを左右に振る。

イマって?見渡すと会場全体がそうして光の坩堝と化している。色とりどりのサイリウムひとつひとつに、いまこの場所でそうしているドラマと理由がある。

今までの重ねた時間と
つかまえた笑顔は宝もの
いつの日か見てた憧れと
一緒にさあ 次を見つけてみよう
Starlight 瞬く星空
Sunrise 新たな朝日と

ここで「イマ」に至るまでの日々を回想する。

さっきまでは同じ光景を見ていたPも、ここでは各々が経てきた日々だったり、出会ったころの興奮だったり、担当アイドルへの強い思い、まったく別々の記憶を呼び覚まされる。だって全く同じルートをたどってきたPは一人もいない。アイドルたちもいつの日かみてた憧れを追いかけてここまで来た。何千何万という観客が満員のドームで、そのステージに立っている、その現実というフィクション。フィクションという現実。

ツナガル
君の音で世界は変わる
未知の行方 描き出す
照らす色に染まる景色
ドキドキする 一瞬は
光る夢を作ってくれる
いくつ増えていくのかな

楽しい!そんな気持ちをまっすぐ捉えながらもこれは「一瞬」なのだと、ちょっとだけ終わりを意識させられるようなフレーズ。

けれどその一瞬が次へとつないでくれる。「未知の行方」は「道の行方」でもある。「いくつ増えていくのかな」って、無限大の広がりと可能性へ胸高鳴らせるアイドルの歌声。完全にシンクロした・・・。そうだ・・・俺たちも・・・俺たちも同じ気持ちなんだ・・・!!とここで感情が溢れ出す。

そしてここで
「またね」「またね」
って何回でも言えるから

凄まじいフレーズだと思う。

「ここ」が意味するところがそのライブ会場だけではないことは明白。二重、三重の構造。
「またね」は観客にむけたお別れの言葉だ。ライブのあとで「おつかれさま」と声をかけるプロデューサーではなく、その場にいる名もなき大勢の観客へ向けた言葉。ゲームプレイヤーとしてのPではなく、いまこうして現実で彼女たちを見つめている、声優さんたちの向こうに実在しないはずの彼女たちの姿を見つめている自分。

遠いなぁ。わかっているけれど、覚めてしまうと遠い。けれど、心のすぐそばでこの曲は鳴る。紛れもなく現実の自分たちに向けられた手向けの言葉を噛み締めてサイリスムを振るのだ。

“Stage by Stage”は一歩一歩、という意味だ。この曲は少し変えて「bye」としているが、そういう言葉遊びもこの曲のテーマにハマっている。一歩一歩積み重ねてきた日々を、ライブステージで結実させ、そして「またね」と手をふるための歌。

踏み込んだ一歩を忘れないよ
涙ぐむほど この気持を
大事にしたくで抱きしめて
ここから ここまで 連れてきたよ

2番からはアイドルの内面を表現したフレーズへと変化していく。

ここらへんからメンタルがやられてくるゾーンですね。アイドルになろうと最初に思った日だったり、オーディションを受けるまえの不安だったり・・・プロデューサーに出会ってからの戸惑いもあるかもしれない。

憧れを現実にするために楽しいだけじゃない時間だって過ごしてきた。
耐えてきた。戦ってきた。そして叶えてきた。
だからあそこに立てているんだよ。

アイドルとして強くてかわいい存在のその内側のナイーブなところを触れてくるこの歌詞!ここが更に涙を誘うんですね。そしてそんな日々を忘れてない。楽しかったことも悔しかったことも全部ぜんぶ引き連れて、背負って、ここにいる!その眩しさ!

ここから、ここまで、連れてきたよ。連れてきてもらったんだよ。そして連れてきてあげることができたんだよ。デレ歴ぜんぜん浅いのに頭の中でかってに遥かなる努力の日々が捏造されて涙腺が熱くなるな・・・

自分にとっての特別から
もう誰かにとっての特別へと
貰えたとっておきのプレゼント
ありがとう 次は贈りにゆこう

やめてくれ・・・これ以上、おれに何も手向けないでくれ・・・十分、じゅうぶんもらったんだよ・・・あまりにも純度の高い感謝の思い。尊すぎて目が潰れてしまう。

アイドルを目指した少女の、純粋な憧れが、こんな風に輝きだしてしまうのかよ。ともに成長してきたメンバーや、背中を支えるプロデューサー、あつまった観客。いろんな「誰か」を思い浮かべては、そのあらゆる可能性において、どれもがメチャクチャ熱いメッセージとなることに気付かされる。
好きっていう気持ちをみんなで共有して、「特別」を差し出し合いながら、こんなに輝くことができる。

そこに立つためのすべての軌跡と奇跡を受け止めて、だからこそ彼女たちはこんなにもキラキラしているんだな。どのアイドルも特別で、どのPも特別な思いでそれぞれの担当アイドルを応援している。そしてアイドルにとっての、特別。誰でもいい、なんでもいい、彼女たちが特別だと思えるなにかを、どうか大切にしてあげたいんだよな。一人ひとりに寄り添った、それでいくらでも解釈の余地を残す魔法のような歌詞だ。
作詞家ミズノゲンキ・・・その名・・・覚えさせてもらった(誰)

Stand by ひとりの欠片が
Alright みんなの全てに
ツタワル 君と手と手 舞台で結んで
認め合える 支え合う
歌にのせて 期待をこえて
トキメキまで 最高を
探すために信じている
紡ぎ出した絆たち
ともにここで「だよね」「だよね」
って笑えると思うから

2番サビにかけて。ともにステージにたつ仲間に向けたメッセージの部分。
こんな・・・人としてアイドルとしての信念ともいうべき譲れない部分をズレなく共有できる奇跡のような空間を感じられてさらに涙がこみ上げてくる。
だよね、だよね。
この空気感だけで、満たされてしまうんだよな。個人的には音源版でニュージェネがこの歌詞を歌ってくれているのマジで天才~!!!!!!ってなる。

あとどれくらい 目指してみたい
始まることを決めた 日々の向こう
Stage bye Stage

ラスサビ直前のブリッジというかCメロ。ここでまたしても気付かされてしまう。
ステージ・バイ・ステージ。それは今日この日この瞬間のライブへのお別れでもあるし、次なるステージへの一歩も意味している。

ツナガル 
君のもとで未来は続く
いつも 明日も その先も
そしてここが思い出になる
だから言うよ またね

落ちサビ。
「君のもとで未来は続く」すごい。託しているんだ、こちらに、すべてを。
単純にライブ終わって寂しいけどまたねじゃないんだよ。この先のことを信じて託してくる。え、マジ?そんなのあり?そんな信頼、ありか?

次があるかもしれない、ないかもしれない。あなたがくる最後のライブかもしれない。
けれど全部覚悟の上なのだ。ライブという一期一会。コンテンツという宿命。
すべてを内包して 「そしてここが思い出になる だから言うよ またね」と歌い上げる。

めちゃくちゃ美しい。そのうえで2次元も、2.5次元も、アイドルマスターというコンテンツをめぐる事象にまで言及しているような感覚。心臓を鷲掴みにされているような迫真の距離感。

そしてラスサビ。1番サビをなぞるが、最後のフレーズが変化する。

そしてここで「またね」「またね」って
輝いた奇跡へ何回でも会えるから

宝物のようなこの時間を永遠にして終わる。

次のライブでも会おうね!バイバイ!っていうことの他にも含みがあって、何度でもこの日を思い出して楽しくなってもいいし、次のライブでまた会ってもいいし、BDでライブを見返してもいい。あらゆる場面において等しく輝きを放つキラーフレーズ。

今日というこの日が結晶化され、どんな形であれ、見た人になにかを残す。
何回でもそれを取り出して眺めていいんだ。また仕舞ってもいいんだ。
感動と、それからどこかメタ視点のような達観も感じられる。でも、冷めているとかじゃなくて純粋な幸福感が押し出されているんだよな。

 

ライブ当日も最高だった。
けれど、興奮も落ち着いてしばらくたった夜、ナゴド公演PVを見てぶり返してしまった。むしろ当日よりも強烈な破壊力でもって、俺の涙腺をぶち壊してきた。

本当に思い出になった今になって気づいた。
思い出になったときにことをあの時すでに歌われていた、目の前でおれはそれを浴びていたのだ、というあまりにも鮮やかな伏線回収。

こんな華麗にキメられたら為す術なし。

 

いくつも、いくつも重ね合わせることができる深いメッセージ性。

アイドルマスターというコンテンツどころか2次元も2.5次元の空間そのものも包み込んでいる。

今ここにいる観客としての自分と、
サイリウムを振る舞台装置としての自分と、
プロデューサーとしてアイドルに接している自分と、
アイドルと、
アイドルという偶像と、
それを大切におもうあらゆる意思と、
それを体現する演者と、
それらすべてが結実した現実、
今日というその日、共有できる感動、全ての要素が詰まってる。

もうアイマスどころか声優ライブコンテンツという構造そのものにも触れている神の一手。

素敵な時間をありがとう!共有してくれてありがとう!!って、コンテンツをめぐる意思すべてがここに溢れた集大成。
そんな感覚。「またね」「またね」って何回も、本当にキャラクターが語りかけてくるみたいな構造をもった曲だ。

奇跡みたいなきらめきと、あの場所でみんながひとつとなってライブを成立させている現象、その神域。その凄み。そしてそれを成立させるために緻密に世界観を練り上げられているコンテンツとしての完成度。
そして何より、キラキラしながらこれを歌い上げるアイドルたち。
マジですべてが完成されてて、フィクションとかメタとかリアルとかどーーーーでもいいーーーーってくらい、作品がもつエネルギーとそのリアリティに圧倒される。

 

 

“会いたいを叶える”新曲「Stage Bye Stage」制作背景
https://realsound.jp/tech/2018/09/post-250030_2.html

インタビューを読むと、そもそも楽曲としてのコンセプトからそういうわけだった。けれどこの曲が改めて、ライブという場所で、全体曲として披露されたことでこの曲がもつ可能性やかがやきがさらに拡張されている。ライブ化けする曲というのは往々にして存在するけども、この曲の飛躍は相当だろう。

 

こんな感情移入ができる曲、すごすぎる。
読めば読むほど、この歌詞、化け物じみてるよ・・・。

 

 

またアイマスのライブに行きたいなぁ。
またこの曲で腕を振りたい。光の一部になりたい。
そして何度見直しても津田ちゃんはかわいかった。ナゴド公演最強の女。津田美波。

 

 

 

以上です。改めて、解釈とか知識とかめちゃくちゃだったら申し訳ないです。が、やっぱりこの曲がもつ魔力はとてつもないと言うことを自分なりにまとめてみたかったので。

 

 

 

睦月周平さんってミリでもめちゃくちゃいい仕事してるので、こちらもおすすめしたいんですよ。「深層マーメイド」や「Cut.Cut.Cut.」、「ラスト・アクトレス」・・・

 

 

あと頼むからミリ6thSSA現地当たってくれ……アソビストアプレミアム……
ついに俺もアソビストアに年貢を納める民になってしまった。頼む…

 

 

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS CG STAR LIVE Stage Bye Stage
new generations[島村卯月×渋谷凛×本田未央]
日本コロムビア (2018-07-18)
売り上げランキング: 1,005

 

血と血と血と血と血と血と血ときみがふれた光『ハピネス』10巻(完結)

ハピネス(10) (講談社コミックス)
押見 修造
講談社 (2019-05-09)
売り上げランキング: 1,325

 

『ハピネス』最終巻です。
黒基調で9巻まで来たコミックスの白も、最終巻は白くなりました(背の部分)
完結ということで改めて1巻のオビを見てみましょう。

 

ハピネス101

鮮血のダークヒーロー奇譚!!

 

うん。最初こそそんな感じでしたけど、後半なんかは完全にカルトホラー漫画と化していましたね!
というかカルト宗教編がめちゃくちゃ長い上に「少年誌でやるか?」っていう陰湿なエログロの嵐にちょっと精神参りそうでした。

 

けど、いい作品だったな。
終わりだけ見てしまえば、そりゃそうだと納得せざるを得ないややビターな味わい。けれど毎話ドキドキとさせてくれる、しっかりと内面描写とストーリー描写を濃厚に両立させながらエンディングにたどり着いてくれた。
たったひとりのレイトショーを見終えたような、充実感と孤独感。
深みのある読後感を与えてくれる作品となりました。

 

正直書きたいことは直接的にネタバレに関係することばかりなので
これから読む予定な人は下記戯言は読まない方がいいかと思います。
ネタバレ全開になってしまうので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・さて。いや俺はもう五所さんのことしか書くつもりがありませんが・・・。

ビジュアル的にも◎、フランクでいて陰があって「っす」って語尾につけちゃうイモっぽい娘がドストライクな娘がメインヒロインを張る貴重すぎる作品ではあったんですがいかんせん押見修造作品だし、しかも物語も吸血鬼と人間の共存なんて無理にきまってるじゃんってお話なわけで、けして王道のハッピーエンドを迎えられるなんて思ってはいなかったですよ。
むしろ結末を読んだら、物語としては本当に大切に描かれていることを実感できた。最後まで絆を感じさせてくれる。病院の窓ごしに視線を交わす場面では素でゾクゾクと感動で震えてしまった。
けど野暮ではありますが改めて言いたいのですが、

さすがに五所さんかわいそすぎるだろ・・・

こんな!こんな痛めつけるのほんとやめて!ってなっちゃったな・・・正直。
もう下半身もめちゃくちゃに犯される、乳○切り落とされるわで最悪オブ最悪ですよ。
しかもそれが長い長い。カルト宗教施設潜入~幽閉~陵辱~吸血鬼になりたい狂信者らのエサにされそう、っていうピンチの流れがね、なげえ。7巻から10巻前半くらいまでずっとボコられ呻くだけの五所さん。勘弁してくれ~押見修造~!!!!
おれは甘かった。押見作品でキャラ萌えなんか発揮しても報われっこないのに・・・「悪の華」で懲りずにまた俺はおなじ過ちを・・・何度繰り返せばいいんだこんなこと・・・

でもエピローグで幸せそうな彼女が見れて本当にホッとしました。
いいか。乳首がなくても育児はできる。母乳育児とかって話題はツイッタランドであんまり首突っ込みたくない面倒トピックですが、漫画にフィードバックすると案外興味深い。

五所雪子にとってのヒーローは誠だった。
同じ速度で歩めなくても、同じ場所で生きていけなくても。
そして彼女はもうひとりのヒーローと結ばれるんだよな。
なんの力もない、何の変哲もない、それなのに無我夢中で助けに来てくれた無力な人間に、彼女は人生をかけて救われていく。普通の幸せを手に入れていく。過去の呪縛から解き放たれていく。

 

ハピネス102

 

呪縛から解き放たれるような、ふたりの心象風景。
淡いタッチがエモすぎる&エロすぎる。

 

 

おおくの吸血鬼が直面してきたであろう、人間とモト人間の悲しい終わりの数々。
それらを思えば、誠と五所さんは限りなく幸せに良好な関係を保つことができた、稀有な例なのではないだろうか。
もちろんその過程にはただ事ではない悲劇があることを、我々は身にしみて知っている(特に6巻以降の悲痛な展開の数々によって)。だからこそ10巻のエピローグにて描かれていく、人々や街の光景にいくつか彼女の幸福な生活の断片に、震えるほど感動してしまう。
後述するが吸血鬼の悲哀というテーマと折り重なるように、五所雪子というひとりの人間が辿ったストーリーに宿る重厚なドラマがこの「ハピネス」という作品の魅力を決定的にしている。

 

 

吸血が背負う悲哀について。
吸血鬼は、街や歴史の陰に隠れながら、姿かたちを変えないまま闇にいきていく。
エピローグはとくに時間の経過速度が上がっていき、人々にガンガン変化が訪れていく。そして変わらない、いや変わることのできない吸血鬼という生き様の悲しみがより浮き彫りになっていく。
それは「永遠」という言葉に宿るどこか漠然とした憧れやきらきらしたイメージとは程遠い、
ただただ置き去りにされ、孤独に佇むしかない彼らの哀れな姿だ。
圧倒的な身体能力と生命力を持ってしても、けっきょく誰かの血を啜り、陰に潜んでいきていくしかない。依存しきった弱者。

この作品は結局のところ、彼ら吸血鬼という存在について非常に冷静に冷酷に描写を貫いてきたと感じる。ヒーローなんかじゃない。孤独で哀れだ。社会から阻害された弱者としての存在感のほうが色濃い。
ときに人間を蹂躙するほどの力を持っていても、物語後半でおおくの吸血鬼が人間の組織力・科学力に為す術なく屈服した。パーツごとに肉体を分解され培養液漬けにされるというバラバラリビングデッド状態にもなった。
それでいて、恐れられ、誰からも受け入れられず、飢えの苦しみにいつまでも支配されながら生きながらえていくしかない。
しかし終わりが無いかと思われていた吸血鬼にも死が訪れる場面があった。
第46話。とある重要なキャラクターである吸血鬼が死ぬ。
肉体を食われ、そしてその食った母体が死んだ時、ついに吸血鬼はしんだのだ。

「死ねるんだ・・・オレ・・・」

ひどく穏やかな表情。
まるで人間だったころの穏やかな感情を取り戻したかのような。

死ぬことを喜ぶ吸血鬼の姿はとても印象的だ。
吸血鬼たちすらも「生」にしがみつくしかない。生命や永遠を超越した存在なんかじゃない。ある種、矛盾した弱さを抱えているのだいうことを突きつけられた。
たしかにダークヒーロー的な描かれ方もされていたのだけれど、だんだんと後半に向かうにつれて吸血鬼の負の側面、弱さやくだらない生き様、疎外感や生きることの苦しみ、そういった要素もかなり描かれてきたんだな。

巻末にある著者あとがきの中で、「死と病」「疎外」といったキーワードを出していたけれど、間違いなくそういったメッセージが描写に詰め込まれていたように思います。痛々しいほど、ヒステリックな絶叫のなかに、いろんな思いが乗せられている。

 

 

ラスボス的な立ち位置だった桜根という男のドラマも、猛烈な痛みを伴い印象深いものだった。どこまでいっても理解できない、底知れないおぞましさ。と同時にどこかその孤独なありかたについては共感してしまうような、あやういバランスで成り立ってた。
にしても結構ストレートに現実世界の事件をモチーフにしていましたね。明らかに酒鬼薔薇事件だったし、カルト宗教関連はよくわからないけど、狂気の果てに集団自殺をして壊滅するのはジョーンズタウンでしょう。「あっこれ哲学ニュースで読んだヤツだ!」ってなっちゃったもんな。オカルト進研ゼミかよ。
ただそういう現実世界を脅かした事件がもつリアリティが本作にもかなり意地悪く効果的に作用して、何度もいうように6巻以降の展開はかなりホラーサスペンステイストが強めで「ダークヒーロー奇譚はどこいったんだよ!!!」ってキレ散らかしてしまった。
桜根についてはストレートにやべーやつなんですけど、いつまでたっても妹や家族に執着してしまう幼さや哀れさのようなものもあり、やっぱり一筋縄ではいかない。でも彼は特殊な方向に個性出てしまっただけで、誰しもが大なり小なりだれかと違うところがあるはず。優れていても、劣っていても、社会の倫理に反していても、偉大な功績を残しても、背中合わせのように人間は「そっち側」にいく可能性を秘めているわけであり・・・。

 

 

 

それでラストシーンですが、ここまで果てしない未来までいくとはちょっとびっくり。
アダムとイヴってことでしょうか。それにしても、やっぱりどこかスッキリとしない不穏な終わり方だ。まぁ押見修造先生はだいたいこんな感じか。
個人的には、行き着くところまで全部見せてくれたような気分で満足感はありました。
無情だ。ただただ寂しく、かなしい。
けれどどこか美しく、甘やかな破滅。

 

この作品に「ハピネス」とつけられた意味。わりとわからん。
わからないなりに、「ハピネスっていう物語です」って手渡されたとき、ああそうなんだ、そうだったんだって納得してしまえるような心地。「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」銀河鉄道の夜の一節を思い出してみたりする。
そういえば、この作品も空を見上げることがひとつテーマになっていたな。
渦を巻く毒々しい夜空に吐き気を催すときもあった。
けれどラストシーン、彼らを待っていたのはすべてを滅びを見守り輝く、満点の星空だった。
彼らの歩みのさきに、人類の歴史の続きはあるのだろうか。

全10巻。でもかなりサクサク読めると思います。
1本の映画を見るような気持ちで、2,3時間、この作品に委ねてはいかがでしょうか。
血みどろの絶叫のなかに光る、なにかを見つけられるのでは。

 

死んでいく
ふたりきりで、ふたりしかいない世界で、死んだ世界でぼくら

 

 

 

ここにいたいよ『春とみどり』1巻

春とみどり(1)

春とみどり(1)

  • 作者:深海紺
  • 出版社:フレックスコミックス
  • 発売日: 2019年04月12日

 

『春とみどり』1巻が発売されました。WEB掲載のときから楽しみにしていましたのですが1冊でまとめて読むと、あまりにセンチメンタルでやさしい。思わず読みながら何度も顔を伏せてしまった。
これを4月に発売するというタイミングも憎い。狙ったんだろうか。

ひとまず、この第1話を読んでほしい。

とても出来がいいし、節々に感情をたっぷりと含ませた間があって実にポエミー・・・こういうの大好きなんだよな。

https://comic-meteor.jp/ptdata/haru/0001/

 

「春がずっと嫌いだった」
ささやくような呪いの言葉から幕を開ける物語は、ひとりの女性と、それからずっと年の離れた少女の交流を描いていく。
31歳のOLの主人公みどりは、周囲に馴染めないままひっそりと暮らしている。
春、突然の報せが届いた。
いちばん好きだった、大好きだった、かつてのクラスメイトつぐみ。
密かな想いを寄せていたその親友がこの世を去った、らしい。
しかし向かった葬式で、ひとりの少女をみて呆然とする。
14歳の少女は春子<ハル>。つぐみと瓜二つの彼女は、つぐみの娘だった―――

身寄りのないハルをみどりは引き取ることを宣言。
初対面で、相手は大好きな親友の娘で、いびつに突然にふたりの同居生活がはじまる。

ストーリーは入り組んだところはないけれど、とにかく見せ方がうまいので表情も言葉も刺さる刺さる。さらさらと流れるように読めるのに存外にフックが多い印象。
正直言ってこの仕上がりっぷりで新人作家さんの初連載ってマジ?ってなる。
個人的に喪失を描いたストーリーはモロに性癖。「喪失によってつながる人間関係」最高なんだよな。疑似家族も大好き。もっと寂しさを共鳴させてほしい。もっとおどけた生活に癒やされてほしい。もっと痛みを隠して、それでも微笑んでいてほしい。

春とみどり11

つぐみへ寄せる想いの強さは計り知れないみどり。
普段は弱腰な彼女が、モノローグだけでも「私がいちばん」と言えるくらい
彼女にとってどれだけつぐみが大きな存在だったか。
清らかなだけではなく、信仰心、むしろ強い執着心のようにも感じられる。今は素振りもないが、どこかでみどりのこの危うさが炸裂しないことを願いつつ、そうなったら面白そうだなとも思ってしまうな・・・。

 

一方でハルはつよい少女として描かれている。
母親を亡くし身寄りもいなくても彼女は涙を流さない。その事を心無い参列者たちに陰口を言われても、彼女はじっと口を閉ざした。耐え続けた。

読み返してみると明らかに第一話のころのハルは目つきが通常よりも鋭いというか、険しい顔をしている気がしますね。
そこから徐々にやさしくなっていく。みどりとの生活の中で少しずつ笑顔を取り戻していく。しかしまだ彼女はきっと悲しみを受け止めきれてない。飲み下させてないし、もちろん消化もできてない。キャパを大幅に超えた悲しみと、新生活への戸惑いがまだ彼女のなかに強くあるように思う。
そりゃあフィクションの中で身寄りのない少女なんてたくさん出てきますし、だからといって彼女たちに悲しみがないなんてことはありえないわけで、一人ひとりの中に堪えきれないほどの絶望は息づいているのだ。

第一話で描かれることのバックボーンに、中学卒業以降おそらくつぐみの都合で離れ離れになり、二度と会えなかった事がすけて見える。
つぐみの家庭環境の秘密は、今後のみどりとの日々との関係してくるはずだし、今後のキーとなってくるだろうとは思う。

みどりもハルも、違った角度から「つぐみ」という存在を失った喪失感を抱えている。
それが反響させながら、いくつも思い出をかざしながら、少しずつ温度を取り戻していく。このゆっくりとした空気と、そこに漂う救いの光のようなきらめきが、めちゃくちゃに心を切なくさせるのだ。

春とみどり12

きっと長い付き合いになるだろうと思う。
だからこそゆっくりでいい。ゆっくりがいい。初対面から始まったこの奇妙な関係を、少しずつすこしずつ味わっていこう。

 

冒頭にも書きましたが、感情の含ませ方がとてもうまい作品。
全体的に淡いパステルカラーような感覚の物語なんですが、その中でハッとさせられる場面がとても多い。演出面がうまくストーリーも盛り上げてくれている。
この甘酸っぱい空気。けれど容赦なく突き刺す喪失の傷。このバランスが感覚がたまらないんだよな。2巻以降も楽しみな作品です。
「あなたのいない春なんて」
けれど今、あなたが世界にのこしてくれた体温に触れている。
こんなにもそばで息をしているのだ。想いを告げられないまま。あなたの微笑みを思い出しながら。

 

春とみどり13

余談ですがメロブ特典のカバーもいい。見比べると、つぐみと春子とではやはり表情がまるで違う。いつかハルも、母と同じように笑えるといい。

 

 

 

 

 

 

 

インターネット、僕らの呼吸が夜になり音楽になる。『バジーノイズ』2巻

とりあえず、しゃらくさいシティポップを聴いて口の中をセンチメンタルにしていくか。

SHE IS SUMMER / 出会ってから付き合うまでのあの感じ

ふぅ~~

 

 

「出会ってから付き合うまでのあの感じ」だァ~~~~~!?!?!?

 

 

・・・

よし!

 

 

バジーノイズ

バジーノイズ

  • 作者:むつき 潤
  • 出版社:小学館
  • 発売日: 2019年01月11日

 

バジーノイズ2巻が発売されていますよ、しばらく前に。
先日発表となりましたが、なんとバジーノイズをベースにライブイベントが開催されるみたいですね。その名も「バジーノイズライブ」まんまやんけ。でもせっかくリアル感ある漫画なので、こういった体験型の音楽イベントが出来るのは素晴らしいですね。ファンはぜったい行きたくなるやつ。参加アーティストが素で気になる。

作品のクレジットを読むとわかるように、地下室タイムズさんが協力していることもかなり影響しているような気はしますね。あそこはもはや完全にひとつのメディアと化していて、サイト単体の企画でフェス型イベントを開催できてしまう影響力があるし。主催の石左さんがいつだったか、一度会ってみたいバンドマンにGrapevineを挙げたら偉い人に「いつでも会える人じゃん」的なこと言われキレてたのがかなり好きなエピソードだ。

 

そんなことはさておきバジーノイズ2巻である。スピリッツにて連載中。

一巻の感想は前にアップしました。
夜に静かに飛び散った、ぼくらのSNSミュージック『バジーノイズ』1巻
1巻は主人公の清澄と、彼の日常を破壊していくサブカルガール潮のふたりでほとんど展開していった。ゆっくりとした進行だ。それだけ、清澄というキャラクターが外部へのドアを開けるのに時間がかかったという証でもある。

ただ2巻からはサブキャラも出揃いはじめ、徐々にではあるが世界がひらけていく。いや、膨らんでいく感覚。1巻のストリートライブの興奮は、読者も作品そのものも突き動かしていく。

相変わらず清澄はなにを考えているのかいないのか、ふわふわと漂うような生き方をする男だ。しかし世間が、世界が、彼がひとりでいることを許さない。いつしか彼の周囲には、本気で音楽をしたい奴が、人生行き詰まっている奴が、仕事と情熱のはざまで揺れている奴が集まってきている。

1巻で清澄は自分だけが楽しめればいいと、それで満たされる生活があればいいと言う人間だった。自己満上等。それでいい。はずだったのに。

 

バジー22

 

突き動かされたのは外野だけじゃない。当の本人だってあてられたのだ、あの興奮に。
音楽はそういう作用がきっとある。大好きな音楽に触れて、形作り、流し込み、高く飛べるようになる瞬間。そういのを与えてくれるはずなのだ。

というわけで、1巻よりグッと積極性を見せてくれる清澄くん in VOl.2
なんてこと無い変化だけど、代えがたい輝きがある。
臆病な少年がゆっくりとこちらを振り向いてくれたような、そんな嬉しさだ。

 

 

清澄のスタンスはこの作品の雰囲気をそのまま写し込んでいる。
音楽に全幅の信頼なんて置いていない、そんなもの置いちゃいけないことを知っている。本気になってもうまくいかない現実におびえている。傷つかないように「これでいいんだ」と自分だけの世界に浸っている。フォロワー数とかRT数に一喜一憂して、そんなことで本物なんて知ることはできないと薄々わかっていながら気楽で居心地いい価値観に埋没して。自室のモニターから世界を見て、わかった振りしたりして。

そういう空気感。あきらめも希望もぼんやりとした蜃気楼の向こうがわ。リアルなとこなんだと思うんですよ。リアルがなによりリアリティが薄い。感情も、評価も、存在さえ。

「どうせ」と「そもそも」と「もういいや」と・・・
そういう世界観を、清澄自らが突破していくことの気持ちよさ。
2巻、明らかにエンジンがかかり出している主人公にとても気分がいい。

 

 

清澄も好きだけど個人的には調子ノリまくりのサブカルガール、潮ちゃんがお気に入り。いつか絶対炎上して「どうしよ~~~~」って涙目になってて欲しい。アカ消しまえに醜態をさらす女であってほしい。間違えた。清澄をむりやりに引き上げていってほしい。だれかに求められること、寄り添い音楽を奏でることの心地よさを、彼に教えたのはきっと彼女なのだから。

バジー23

それにしてもすげーナチュラルにいっしょに風呂はいってて草ですよ。

まじかー。1巻でも匂わせ描写はあったけど。え、個人的にはふたりは付き合わないで欲しい・・・・・・いや付き合ってるかな・・・たぶんヤッてるか・・・なにげにショックだ・・・やっぱりバンドマンなんてクソなのか・・・

 

 

そんな潮。いつも暴走気味、炎上気味な彼女がふと、物思いにふけるシーンがある。

「出会わんかったらよかったと、思われてないやろか」

と。ああ、そういうことに怯える女の子でもあったのかと、再発見した気持ち。第一話でイタい目みていたので、ちょっと人間関係に臆病になってしまうところもあるはずだろう。それが普通なのに、意外とそういう一面を見せてこなかった潮。かわいい。かわE超してかわFやんけ。

彼女のそんな悩みに、さっそくアンサーがだされている。

1巻末のストリートライブでもそうだけど、清澄はここぞというときにモノローグを通じて感情を顕にする。2巻でもそう。前座としてステージにあがって、音楽を奏でるとき、ようやく彼は語りだす。音楽に合わせ、饒舌に、言葉が引きずり出されていく。

バジー24

ありがとう、だなんて。

ひとりきりの世界の壁を、文字通りブチ壊してやってきた潮を思い浮かべて、
こんな優しく微笑んで歌える。音楽のせいに他ならない。

誰かの前で歌えることは嬉しくて、出会いは嬉しくて、音楽に苦しむこともきっと嬉しい。それはひとりでは出来ないことだから。

 

 

 

おれがツイッターでポチポチとふぁぼリツするその向こう側で、だれかのドラマが動いている。そこに涙もあれば幸福もあり、突き進んでいく熱がある。そして自分もそのうねりの片隅に居場所を与えてもらっているような、そういう温かみとか感動がある作品なんですよ。すごく自分と距離が近い気がするんです、なんとなく。ステージでめちゃくちゃにかっこいいライブをするバンドマンを描いた漫画でも、こんな感覚にはきっとならない。インターネットによってつながる感覚というは、現場で音を浴びるのはまた別次元の快感なのだ。

それと同時に、つながりを一概に是としないような、孤独になにかを突き詰めることを否定しない空気感も魅力的だ。シニカルなシティポップの手触りのまま。

もちろん、せっかく音楽なのだから、その音を生で浴びれたのならそれこそ幸せだし、快感だ。いこう、バジーノイズライブ!この世界に生で触れることができるぞ!

・・・俺は金がないのでいけませんが。転職活動ついでに行けるか?無理か。

 

 

バジー21

 

いつまでもこんなしゃらくさい見開きが好きなので多分きっと一生そう。

インターネットで簡単に世界と繋がれるこの時代に、スマホも見ずに手ぶらでゆったりと、夜の岸を歩くのだ。
世界と自分と、海と陸と、夜と朝と、音楽と”ぼく”の、それぞれのはざまに。

浸って読むにぴったりの漫画です。

 

 

 

 

いびつな君、いびつな歯ならび、いびつな愛。『不完全で不衛生でふしだら』1巻

不完全で不衛生でふしだら 1

不完全で不衛生でふしだら 1

  • 作者:すのはら風香
  • 出版社:KADOKAWA
  • 発売日: 2019年01月25日

コンプレックスでグズグズしている少年に、かわいいけど変態な少女がグイグイくる。
なるほど、好きなヤツですね・・・!

本作でデビューとなるすのはら風香先生はもとは同人で活動していて、この作品もコミティアで発表された作品がベースとなっています。これで賞を獲得し、そのまま連載化となりました。

【C91/コミティア119】創作男女本サンプル | すのはら風香 #pixiv https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=60564696

個人的にもこの同人誌が好きだったので、連載となったのがとても嬉しかったですね。主人公の腐りっぷりと女の子と仲良くなれてしまったことの感動やとまどいが程よく合わさっていて、まさに思春期のクソガキなんですよ。かわいくてたまらないわけです。

ポイントはやっぱり、コンプレックスの逆転。
主人公は歯並びが悪くて、それを気にして常にマスクをしているとうまく周囲にも溶け込めない鬱屈っぷり。どうやら過去にトラウマも抱えているようだし、完全に陰キャ。口内コンプレックスこじらせ男子。

ふしだら11

なのにその少女は、突然現れて突然顔を掴んで、そのコンプレックスに素手で触れてくる。

とつぜん顔掴んで口ん中に指つっこんで、ぐりぐり、ねっとり、一方的に愛を告げてくるのだ。俺にじゃなく。俺の口内に。

同人版ではもっと主人公の歯並びが悪くて良かったんですが、コミックス版はじゃっかんマイルドになっているかな。でも、この歪んだ関係性にビビッときてしまう。

主人公の歯並びに強い興味を持つヒロイン、麻衣子。歯医者の娘だから幼少のころからいろんな歯並びを見ているうちに、たぶんあえて美しいわけじゃない個性的な歯並びを好きになっていったんだろう。
そんなわけで主人公と麻衣子はたびたび学校で、こっそりとイチャイチャしているわけです。飯を食べてるところ観察したり、歯に触れてみたり、ハミガキをしたり。・・・イチャイチャか?これ?
こんなんセックスとなにが違うんだ。なにが違うってんだ! 2度言った。

 

人様には見せられない、きっと納得も同意も得られない、ふたりだけの理解と接触の性愛。

人のコンプレックスも、美しくない歯並びも、そこにずけずけと触れてくる行為も、グロテスクなものだと思う。きつい言い方になってしまうけど、本来秘密にしていたいものだ。誰かに無遠慮に触れられたら痛むのだ。なのにそんな忌避されるべきウィークポイントに土足で踏み入って、たやすく触れてくる。そんなことほんとは許されないのに、彼女はその人のいちばん敏感なところを撫でてくる。グロテスクな行為だと思う。

けどそのグロテスクな接触が、こんな甘く映る関係性。ちょっとインモラルで、とてもクローズドな行為を通じて、恋愛未満セックス以上の世界が繰り広げられていく。
“ボーイ・ミーツ・ガール”って感じなんだよな。
やっぱり欠けたところを愛してくれる、違うもので満たして「あ、これでいいんだ」って思わせてくれるような救いの存在。都合がいい夢。そしてそれが相互であればもっといいわけで。

そういう意味ではヒロイン・麻衣子の特異性・異常性が作品のキーとなっているにも関わらず、作中ではそんなに浮いていないっていうのが意外なところかも知れない。

まぁ、だってね。かわいいもんね。

ふしだら12

はぁ~~~~~~~~~~~・・・・・・ コラッ!!麻衣子!!だれにでもそんなふうに微笑んでいるんだろう!? 「えっそんなことないよ!」「えっ、」「えっ。。」ってなるやーつ・・・(ED先生文脈

いや、手にしたペンチが不穏ですが・・・ いい。いいですよこれは。主人公にとって言い過ぎでもなんでもなく、神様みたいな女の子に映っている。どれだけ救われているか、どれだけ惹かれているかそれだけ主人公自身がどこまでわかっているのか・・・コラッ湯上麻衣子!いま気づいたけど名字が「ゆがみ」じゃないか!(今かよ)

 

変態性癖ラブコメヒロインとして必要な動きは十分にしてくれるし、小悪魔なのにちょっとポンコツなところが愛くるしいですね。気を引くためにあえて日課の歯磨きプレイをお預けしていたのに、主人公がとくに気にしているそぶりも見せないもんだから寂しくなって自分から言い出しちゃうやつ。はぁ~↑↑ こういうところなんですよ。いやらしいことはたくさんしてるのに付き合ってもいないし不思議な妙ちくりんプラトニックなバランスがいい。

 

 

あと、なんか興奮の度合いがやばいです。

 

ふしだら14

 

・・・。

彼女いわく、主人公の歯並びはあまりにも性的に卑猥すぎるためもはや顔面男性器と呼べる代物となっており、おもに下半身が大変なことになってしまうようです。

・・・読切版よりストレートに痴女になってんな!
これが「商業版」ってことか・・・!

しかして、個人的にはもっとインモラルな方向性に行くかという期待もあったりしていたので、1巻を読んだ限りでは変態性癖ラブコメとしてちゃんと電撃系列な作りになっていると思うが、ほんのりと物足りなさもある。

もっとドロリとした要素も欲しかったなぁ。「よからぬ関係性が始まってしまったぞ・・・!」という胸の高鳴りをもっと感じていたかった。かわいらしい2人なんだけど、あのむわっと湿り気の感じる質感がもっと出ていれば最高だった。

まぁ、かと言って麻衣子の特異性が作中でことさらに話題になって彼女が学校で迫害されたりとか落ち込むような展開なんて見たくない!俺は生ぬるいラブコメ時空でねっとりしていたいんだ。俺をここに捨てていってくれ。歪んだ性癖を許しあえるこの楽園に・・・。いや彼女の性格だったらうまく生き延びるだろうな。擬態、うまいもんな。

人様にはなかなか見せられない二人だけのオリジナルの性愛を描く作品なので、ディープにゾクゾクさせてほしいなという願望はあります。「どう展開されるんだろう?」という疑問については、1巻を読み終えても依然あったりする。
頼む!心配にならない程度にくらいムードの中で切実に求め合う”ふしだら”な少年と少女を!ド性癖!あと逆に麻衣子ちゃんが自分の口の中をまじまじ観察される羞恥プレイ絶対来てほしい。

どんどん深めていってほしい、この愛しくも歪な関係の、その甘やかさを。

 

 

 

ふしだら13

あとどんどん濡れていってほしい。